和紙と糊から生まれる繊細な工芸品
「時代に合った品を作り、次の世代につなげたい」
山鹿灯籠/「中村制作所」
熊本県北部、山鹿市で受け継がれてきた「山鹿灯籠」は、和紙と糊だけで作る立体的な構造の工芸品です。毎年夏の「山鹿灯籠まつり」では、金灯籠を頭に掲げた女性が踊る「千人灯籠踊り」が行われます。灯籠師として活躍する中村潤弥さんに聞きました。
中村潤弥
(なかむら じゅんや)さん 1989年熊本県山鹿市生まれ。高校卒業後、山鹿温泉観光協会勤務を経て、灯籠師の故徳永正弘氏に師事。2017年に山鹿灯籠師組合から灯籠師として認定。同年、中村制作所を設立。
和紙と糊だけで作る工芸品
かつて宿場町として栄えた山鹿市。温泉地としても知られる町の一角に、中村さんの工房「山鹿灯籠 中村制作所」があります。

―山鹿灯籠の始まりは?
「山鹿灯籠まつり」は、霧に進路を阻まれた景行天皇の一行を、山鹿の里人が松明を掲げて迎えたという言い伝えから生まれました。約600年前の室町時代に、大宮神社に金灯籠を模した紙細工を奉納するようになったのが、山鹿灯籠の始まりといわれています。
―どのような工芸品ですか?
木や金具などは一切使わず、和紙と糊だけでつくります。糊しろがなく、紙の厚みを貼り合わせて接着し、中は空洞になっています。金灯籠のほかに「宮造り」「座敷造り」「城造り」などと呼ばれる灯籠があり、祭りの際に大宮神社に奉納されます。立体的に見せるため、実物に正確な縮尺ではなく独自の寸法で作られています。
―特徴的な技法は?
紙の厚み(小口)に糊をつけて、断面同士を接着します。これを「小口付け」と呼びます。2枚の同じ形の紙を支えとなる紙で持ち上げる「置揚げ」という技法で、部材に厚みを与えます。金灯籠の先端にある擬宝珠(ぎぼし)という部材は、小刀の刃を斜めに入れて、紙の断面を斜めにカットします。ヘラで紙を曲げて接着すると、裏の白い部分が見えず、エッジが立ってきれいに仕上がります。
山鹿灯籠 主な製作工程
1. 裏打ち | 金紙と和紙などを貼り合わせる。 |
2. 歩(ぶ)つき | 寸法に合わせて穴が開いた「歩紙(ぶがみ)」を用い、折り線・切り取り線などの印をつける。 |
3. 蛍貝(ようがい)引き | 歩つきでつけた点と点を結ぶように、蛍貝と呼ばれるヘラで折り線を引く。 |
4. ポンチ抜き | 六角形や円などの部材をポンチと呼ばれる型で抜き出す。 |
5. 毛がき | 型紙に合わせて曲線部などを書き写す。 |
6. 切り取り | 小刀やカッターで部材を切り取る。 |
7. 小口付け | 紙の小口(厚み)に糊をつけ接着する。 |
8. 組み立て | 各部材を組み立てる。 |
※他にもさまざまな作業があり、作品によって製作順序が変わる場合があります。
20代で最年少の灯籠師に
山鹿灯籠をつくる職人は灯籠師(とうろうし)と呼ばれます。8名の灯籠師の中で、中村さんが最年少です(2021年現在)。

―灯籠師を目指したきっかけは?
山鹿市の中心部から離れた地域に住んでいたので、祭りを見に行ったこともありませんでした。中学校の職場体験で山鹿灯籠の工房に行き、ものづくりとしての面白さに興味を持ちました。当時は職業として灯籠師になりたいというよりも、一度自分で作ってみたいという気持ちが強かったです。
―当時最年長の灯籠師だった故徳永正弘さんのもとで修業します。
高校卒業後すぐにも修行したかったのですが、若すぎると断られ、1年間、山鹿温泉観光協会で働きました。その後、師匠を紹介してもらい、弟子入りしました。手取り足取り教えてもらうわけではなく、先生の作業や作品を見て技術を身につけました。
―実際に灯籠作りを始めていかがでしたか?
初めはとにかく与えられた仕事をこなすのに精一杯。部品づくりという地味で面倒な作業なので、楽しいのは最初だけ。3~4年目が一番きつかったですね。ふとしたときに自分の技術の成長が感じられてから、少しずつ面白くなってきました。師匠のもとで6年修行し、師匠が亡くなってからの2年は兄弟子のところで技術を磨きました。28歳の誕生日を迎える直前に灯籠師として認定されました。
―奉納灯籠は灯籠師の最大の仕事と聞きます。
灯籠師になって初めて奉納灯籠を作ることができます。やっとなれた、長かったな、辛かったなというのが正直な感想です。奉納灯籠は山鹿の町や団体からの依頼で、半年以上かけて作ります。今は4町内を受け持っています。町の人たちの思いや願いがこもったもので、緊張感をもってやらないといけない責任ある仕事です。
自由に発想を広げて
中村さんは、アニメやマンガをモチーフにした斬新な作品も手がけています。

―山鹿灯籠のどんなところに魅力を感じますか?
作品づくりの自由度が高いところです。自分が表現したいものを、紙で形にしていく作業が面白いです。山鹿灯籠というルールの中でどう表現するかはその人次第なので、あまり型にはめなくていい。幅が広くて奥が深い工芸品だと思います。
―漫画やアニメをモチーフにした作品が話題になりました。
「和紙と糊だけで作る、糊しろがない、中が空洞」というルールを守っていれば、何を作ってもいいんです。伝統的な宮造りや御所車を作ることもあれば、『ONE PIECE』の海賊船や『天空の城ラピュタ』のラピュタ城を作ったこともあります。去年は飛行機を作りました。
―新しいものは、図面を引くところから行うのですか?
伝統的なものは型があるので設計図を書くことはありませんが、アニメなどをもとにする場合は自分で一から作ります。全体のサイズ感を出して、細かいパーツを考えます。頭の中で組み立てていく過程も好きなんです。挑戦的だと言われることもありますが、そういうつもりは全くなくて、僕が興味を持ったものや作りたいと思ったものを作っているだけです。
伝統の技を現代に
山鹿灯籠は2013年(平成25年)に、国の伝統的工芸品として指定を受けました。山鹿灯籠振興会では、灯籠作りの技術を生かした新商品の開発にも取り組んでいます。

―モビールやアロマディフューザーなどの商品が生まれました。
伝統的工芸品の指定を受ける申請や商品開発に取り組んだ理由は、端的に言うと山鹿灯籠師がもうからないからです。灯籠師の大事な仕事として奉納灯籠がありますが、この金額は大卒の初任給が1万円という時代から変わっていません。これからも続けていくには、他に収入を得る仕組みが必要です。
おみやげ品や作品を売るだけでは、安定した収入は得られません。作品ではなく商品ですね、一般消費者に流通できる商品づくりができていなかったので、新商品の開発に取り組みました。
―工房の1階にある店「ヤマノテ」の店主は妻の冨田京(みさと)さん。夫婦で山鹿の魅力を発信しています。
山鹿の文化を残したい、地域を盛り上げたいといった大それた気持ちはありません。縁あって灯籠師という仕事を始めたので、徐々にそういう気持ちも出てきましたが、自分の仕事を一生懸命やらなきゃいけないと思っているだけで、それは妻も同じです。
―中村さんにとって、伝統とは
伝統という大きな流れの中に、自分が入り込ませてもらっている感覚です。長い年月をかけて先人たちが努力してきた結果、現在まで残り、今の形ができあがりました。それを伝統と捉えるのであれば、現代の山鹿灯籠師として時代に合った商品を作り、一生懸命取り組みたい。そうすることで次の世代に残っていき、また伝統と呼ばれるようになるのかなと思います。
―山鹿灯籠の未来について
山鹿灯籠は山鹿の文化として受け継がれてきたものですが、地域の人たちの献身的な思いや信仰心があって今まで残ってきました。生活に欠かせないものではないため、いつなくなってもおかしくありません。将来的になくなっても仕方ないとは思いますが、そうならないように今の時代で一生懸命がんばって試行錯誤して、次の世代に残していかないといけないと思っています。いま自分のやるべきことをしっかりやることが大事だと思います。
※掲載の内容は2021年10月取材時点のものです
まるで金属のように見える金灯籠ですが、和紙でできているので驚くほど軽いんです!山鹿灯籠の技術の高さを、ぜひ間近に見て、感じてほしいです。取材の後は手仕事の品が並ぶ店「ヤマノテ」で、スタッフ一同、本気で買い物しました。中村さんの作品も店頭に展示されています。
■ 山鹿灯籠 中村制作所 中村潤弥さんの工房は、手仕事の品を集めた店「ヤマノテ」に併設。モビールなどのオリジナル商品はオンラインショップでも購入できます。 所在地:熊本県山鹿市山鹿1375 URL : https://yamaga-yamanote.com/ (ヤマノテ)
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