╲ Youtube はこちら ╱

04 醤油 「橋本醤油」

04 醤油 「橋本醤油」

熊本の城下町で生まれた醤油
「伝統の味を守るために、変わり続ける」

醤油橋本醤油

熊本の城下町・新町で創業した「橋本醤油」は、長年、料亭や飲食店を相手に醤油や味噌造りを行ってきました。5代目の橋本泰高さんに聞きました。

橋本泰高(はしもと やすたか)さん
1983年生まれ。「橋本醤油」五代目。大学卒業後、食品卸会社を経て橋本醤油に入社。東京農業大学醸造学科の研究生として約6カ月間、醤油・みその基礎知識を学ぶ。2019年(令和元年)5月1日、代表就任。

城下町・新町で創業

「橋本醤油」は、現在は食品工場が集まるフードパル熊本の一角にあります。工場に足を踏み入れると、醤油の香りに包まれます。

ベテラン職人が守る伝統の味

「橋本醤油」の始まりを教えてください。

新町にあった「ヤマシン醤油」が事業をやめることになり、曽祖父に当たる盛平が引き継ぎ、大正8年(1919年)に創業しました。盛平は熊本の河内出身でしたが、新町に嫁いだ姉夫婦の養子になり橋本姓を名乗るようになりました。

長年、新町で醤油造りをしていたんですね。

主に新町の料亭や飲食店に調味料を卸していました。ある日、料亭に納めている醤油を分けてほしいと来られた方がいて、お渡しした醤油を喜ばれたことをきっかけに、小売りも始めました。プロに認められる味をご家庭で味わっていただきたいと思っています。

2014年(平成26年)に現在地へ移転しました。

工場周辺が住宅地になり、近くで九州新幹線の工事が始まるなど周辺環境が変化し、移転を決めました。今も住まいは新町です。地域に根づいたお醤油の味があり、うちの商品を買ってくれるお客さんは新町に多いんですよね。あまり店に商品を卸してはいないのですが、新町の酒屋さんには、ほぼ全種類を置いてもらっています。

地域によって醤油の味わいは違いますか?

九州の醤油は甘いといわれます。九州では生揚げ(きあげ)といわれる醤油のもとをベースに、甘味料や旨味成分をブレンドして、オリジナルの味を作るところが多いです。お客様の要望を聞きながら味を微調整していたようです。また、海外の砂糖が手に入りやすかったこともあり、甘い醤油が根づいたのではないかとも考えられています。

「橋本醤油」が造る醤油の特徴は?

おしとやかなおとなしい香りで、角がない柔らかな味わいです。いろいろな料理に合わせやすい醤油です。九州の醤油の中では、ちょうど中間くらいの甘さだと思います。料理の主役は食材なので、調味料は基本的に脇役なんですよね。食材を引き立てる、主張しすぎない柔らかな風味の醤油です。

醤油造りで重要なポイントは?

一番大事なのが「火入れ」という工程です。生揚げ(きあげ)醤油に、砂糖や塩、旨味成分などを加えて加熱し、香りを立たせます。タンクの中に蒸気の管を付けて加熱する「蛇管(じゃかん)火入れ」が一般的ですが、当社ではジャケットタンクと呼ばれる二重構造になった釜でゆっくり加熱する「二重釜火入れ」をしています。

火入れで立たせる香りのことを火香(ひが)というのですが、蛇管を使うと、焦げ臭の一歩手前の状態で、派手で華やかな香りになるんです。以前は蛇管を使っていましたが、管の入口がじゅうじゅう焦げているのを見た先代が違和感を覚え、火入れの方法を替えました。蒸気で包み込むように加熱するので、あまり焦げることがなく、柔らかな香りになります。

経験も大事ですよね。

気温や湿度に合わせて、温度や時間、加熱するスピードなどを調整します。担当する職人は60歳を超えているんですが、重たい原料を抱えるので、筋肉がすごいんですよ。重要な工程を担う大ベテランです。工場の仕事は清掃がメインといってもよいくらい、機械の洗浄などを丁寧に行います。醤油や味噌造りに必要な菌がよく働けるようにするためです。

家業を継ぐ決意

橋本さんが5代目として家業を継ぐことを決意したのは、高校生の時でした。

「橋本醤油」五代目の橋本泰高さん(右)

家業を継ぐ自覚はあったのですか?

今でも覚えているのは保育園の卒園アルバムで、将来の夢を書く欄に「お醤油屋さんになる」と書きました。中学生・高校生になって、自由に仕事を選べる人たちがうらやましかった時期もありました。最終的な決断をしたのは高校の三者面談です。両親は継がなくてもいいというスタンスでしたが、今まで続いてきたものをなくしていいのかと考えました。

白衣に「5代目盛平」と書いてありますね。

農業大学の研究生の時に自分で書いたものです。僕は意志が弱いので、形を作って自分が動けない状態にしておかないと、意志を保てないので。気持ちが揺らいでいたのかもしれないですね(笑)。

跡を継ぐのは大変でしたか?

血筋だけで入ってきても、そこにはずっと頑張っている人たちがいます。並々ならぬ努力が見えないことには認めてもらえません。親の立場だったら息子には継いでほしくない気持ちもあります。跡を継ぐとなったら、他の人たちよりも厳しい試練を与え続けないといけません。「橋本」という名前を守っていく手段は、子どもが継ぐことだけではないと思うので、事業を続けるための選択肢を増やしておかなければと思っています。

人生一度きりなので、息子には自分がやりたいと思うことを素直に選んでほしいですね。その結果が醤油屋になりたいだったらいいのですが、なんとなく選んでは、この仕事をやりたいと思って働いている人たちに対して失礼です。息子は小学生なので、まだそういうことは感じていないと思いますが。

商品に新しい価値を

百年を超える伝統の味をもとに、新たな商品も生まれています。

加熱して醤油の香りを立たせる

今後、どんな商品をつくりたいですか?

「玉子ごはん専用醤油」のように、新しい価値を可視化させる商品をつくりたいです。この商品が出たことで、既存の醤油よりもこっちの方がいいよね、と新しい価値が可視化される瞬間があり、そういう商品をつくれたらと思います。最近は、淡路島産のたまねぎを使った醤油を開発しました。いろんな地域の良いものを積極的に取り入れていきたいです。

「玉子ごはん専用醤油」は話題になりました。

1995年(平成26年)に先代が小学校のPTA会長を務めていたのですが、当時、朝ごはんを食べない子どもが増えていました。そこで保護者が忙しくても、子どもたちが火を使わずに自分で作れるものとして「玉子ごはん」を考え、卓上サイズの専用醤油を開発しました。「二杯目も美味しい」味を目指して試作を繰り返し、完成までに6年かかりました。

甘酒は、もう一つの看板商品ですね。

僕のひいばあちゃんの味です。初代盛平の妻・キマの甘酒の味は、評判だったみたいです。原料が米と米麹だけとシンプルなぶん、蔵のクセが出やすいのですが、うちの甘酒はクセがなくて飲みやすいといわれます。不要な菌が入ると甘酒にない香りが出てクセを感じるのですが、甘酒だけの製造ラインを設けているので他の菌が入らないんです。市場に合わせてすっきりした味わいの商品も造りました。

変わらないために、変わり続ける

通販専用の商品を発売するなど、新しい取り組みも始まっています。

通信販売用に開発した「百年蔵のだし醤油」

通信販売専用の商品を開発した理由は?

お客さんに対して自分たちの思いを正しく伝えていくためには、パンフレットなどで思いを伝えることができる通販がいいと思ったんです。そこで今年(2021年)の9月から、「百年蔵のおうち割烹」という通販限定のシリーズを始めました。

未来に向けて、挑戦したいことはありますか?

調味料は空気のように当たり前の存在になっているので、意識を向けてもらうために、誰かのために調味料を作れるような場所づくりをしたいと考えています。たとえば娘さんがお父さんのために刺身醤油を作れば、贈る人の思いが加わりおいしいと思うんですよね。全国の蔵の醤油を用意して、ブレンドして自分の味が作れるようにしたいです。

伝統とは

変わらないために変わり続けていくことが、伝統を受け継ぐ一つの手段だと思っています。変化を積極的に取り入れて、変えてはいけない思いを守り継いでいくのが伝統なのではと思います。変わり続けていくことが、昔から受け継いできたものを守ることにつながると思います。

大切にしてきたこと

「一滴入魂(いってきにゅうこん)」という初代から受け継いでいる言葉があります。昔から伝わる伝統の技を今に生かして、謙虚な気持ちで、おいしいものづくりを心がけています。一つ一つ丁寧に作り続けて、お客様の食卓においしい調味料を届けていきたいと思っています 。

※掲載の内容は2021年10月取材時点のものです
※動画内の画像の一部は「橋本醤油」提供


料理の味を決める醤油や味噌などの調味料。大量に使うものではないので、こだわって選びたいと思いました。体によいといわれるけれど、ちょっと飲みづらいことがある甘酒も、ここのはすっきり飲みやすいです。たまねぎを使った醤油など、新たな商品も気になります。

橋本醤油
大正8年(1919年)創業。伝統の醤油・味噌・甘酒を中心に、新たな商品も加わっています。工場には直売所を併設。オンラインショップでも購入できます。
所在地:熊本県熊本市北区貢町780-7(フードパル熊本貢地区) 
URL : http://www.hashimoto-shoyu.com/

Youtubeで最新の動画を見る

“ NOROSHI ” は、日本の伝統文化や工芸品にあまり触れたことのない
若い人や海外の人に、そのカッコよさを知ってもらうメディアです。
日本の “ カッコイイ” を世界へ

食品カテゴリの最新記事