熊本伝統の赤酒と清酒
「新たな挑戦を続け、酒造りの文化を守る」
赤酒・清酒/「瑞鷹」
熊本ではお正月のお屠蘇に「赤酒」という伝統的な製法で造られた酒を用います。瑞鷹(ずいよう)はこの赤酒を造り続けるとともに、熊本でいち早く清酒の製造に乗り出した酒蔵です。副社長の吉村謙太郎さんに聞きました。
吉村謙太郎
(よしむら けんたろう)さん 瑞鷹株式会社取締役副社長。1972年熊本県熊本市生まれ。大学を卒業後、会社員を経て瑞鷹株式会社に入社し、瑞鷹赤酒東京店に赴任。独立行政法人酒類総合研究所で学び、本社で醸造に携わる。
熊本伝統の酒「赤酒」
熊本市南部の川尻地区は、江戸時代に藩の船着場が置かれ、栄えた地域。白壁の風情ある建物が瑞鷹の酒蔵です。

― 「赤酒」とは、どのようなお酒ですか?
熊本伝統の甘い酒で、「灰持酒(あくもちざけ)」と呼ばれる酒の一種です。加藤清正が熊本城を築城したころ(約400年前)には、既に庶民の間で飲まれていたようです。江戸時代には「お国酒」として藩が保護し、赤酒以外の酒の製造を禁じていました。
明治時代に県外から清酒が入ってくると、次第に赤酒はあまり飲まれなくなり、第二次大戦中には製造が途絶えました。戦後、当社で製造を再開したところ、プロの料理人の間で料理酒として使われるようになり、全国に広まりました。熊本ではお正月のお屠蘇に用いるため、年末が近づくと、赤酒の出荷で忙しくなります。
―どのように造られるのですか?
製造方法は清酒に近いですが、米と米麹を発酵させた「もろみ」に、木灰(もくはい)を加える「灰持(あくもち)」という製法を用います。清酒は熱を加える「火入れ」という方法で殺菌しますが、赤酒のような灰持酒は、木灰を投入することで保存性を高めます。
※清酒は米・米麹・水を主な原料に、発酵させて漉したもの。一般的には澄んだ酒を清酒と呼ぶが、酒税法上、にごり酒も清酒に含まれる。
赤酒 主な製造工程
精米・蒸米 | 玄米を精米し、蒸す。 |
麹造り | 蒸し米に麹菌を加えて麹を造る。 |
酒母(しゅぼ)造り | 蒸し米、水、麹に酵母を加えて、酵母を培養する。 |
もろみ造り | 酒母に麹、蒸し米、水を加えて発酵させ、「もろみ」を造る。 |
木灰投入 | もろみに木灰を加える。 |
圧搾 | もろみを搾る。この時、木灰も取り除かれる。 |
貯蔵 | タンクで貯蔵し熟成させる。 |
調合・ろ過 | 熟成させた赤酒をろ過し、瓶詰する。 |
熊本でいち早く清酒造りに挑戦
清酒は、原料の米を削った割合(精米歩合) によって、本醸造酒、吟醸酒、大吟醸酒などの特定名称に分かれます。醸造アルコールを加えずに造ったものを「純米酒」と呼びます。熊本にも明治維新以降、県外から清酒が流入し始めます。瑞鷹は、熊本でいち早く清酒造りに取り組みました。

―清酒にはいろいろな造り方があるんですね。
米を削ることで雑味がなくなり、香り高い酒ができます。60%以下まで削った米を低温で発酵する醸造方法を「吟醸造り」といいます。醸造アルコールを加えると、香りがのび、すっきりした味わいになります。造りの違いで味わいが変わり、それぞれに良さがあります。
―「瑞鷹」の始まりを教えてください。
慶応3年(1867年)の創業で、「大政奉還」の年です。初代の吉村太八は私のひいひいおじいさん(高祖父)に当たり、元は回船問屋だったのですが、酒の製造に乗り出しました。酒造りを始めて約20年後の明治22年(1889年)、元日の朝に太八が酒蔵の戸を開けると、蔵の中に鷹が飛び込んできました。「正月の鷹とは、めでたい瑞兆だ」と喜び、「瑞鷹」という酒銘(酒の名前)が生まれました。その後社名も吉村合名会社から「瑞鷹」になりました。
―どのように清酒を造ってきたのですか?
熊本でいち早く清酒造りに取り組み、明治20年(1887年)には兵庫の丹波杜氏を招き、酒造りの基礎を学びました。明治36年(1903年)に熊本税務監督局に野白金一(のじろきんいち)という人物が赴任します。「酒の神様」と呼ばれるほど、日本酒の世界で有名な方です。多くの酒蔵が野白先生の指導を受け、研究所を設置して熊本の風土に合った酒造りを目指そうという声が上がりました。そこで、当社が場所を提供して熊本県酒造研究所が誕生しました。現在は熊本市島崎に移転しています。
―熊本でも清酒造りが盛んになっていったのですね。
熊本の酒の品質は少しずつ向上し、昭和5年(1930年)の全国新酒鑑評会で瑞鷹が1位になり、2位・3位・5位も熊本の酒蔵が占めました。昭和27年(1952年)には熊本県酒造研究所で熊本酵母が誕生します。優れた酵母で、当社でもこの酵母を用いて酒造りを行っています。
―瑞鷹の酒の特徴を教えてください。
熊本は地下水が豊富で、水のよい地域です。熊本の水と米と熊本酵母で、バランスのよい吟醸造りに取り組んでいます。品のよい香りで、キレがよく、バランスのとれた酒です。
酒造りの文化が好き
東京で会社員として働いていた吉村さん。地元を離れて働いたことで、かえって酒造りへの興味が増したといいます。

―いずれは酒造りの道へ、という気持ちはあったのですか?
私は創業者から数えて5世代目で、家業を継ぐ気持ちはあまりありませんでした。でも東京で働いていて飲みに行くと、日本酒に限らず、お酒が気になってしまって。酒造りに魅力を感じたのは、熊本を出てからですね。酒造りの文化が好きなんです。
同世代の酒蔵の後継者と知り合い、こだわりの酒造りに刺激を受け、自分も酒造りをやってみたいという気持ちになりました。瑞鷹赤酒東京店に勤務しながら、広島にある酒類総合研究所で学び、熊本での醸造に携わるようになりました。
―酒造りで課題を感じていることはありますか?
年々、日本酒を飲む人は減っています。新型コロナウイルス感染症の影響で、宴会も減りました。酒造りという商売を持続するためには、良質の酒を造ることしかないと思っています。商売は周りと連動して成り立つものです。原料の米を作る農家さん、瓶やキャップ、箱やラベルを作る業者さん、酒屋さんや飲食店さんがいて、商売が成り立ちます。今までは売る意義を考えていましたが、仕入れる意義についても考えるようになりました。県内外に酒蔵があるので、地域性も大事にしたいと思っています。それが酒蔵同士の共存にもつながります。
伝統を生かし、進化する
2016年の熊本地震では、大きな被害を受けましたが、多くの支援が寄せられ、その年のうちに製造を再開。赤酒や清酒造りの伝統を守りながら、新しい商品も手がけています。

―熊本地震では、建物や設備が被災し、製造が中断しました。
地震で大きな被害を受けましたが、皆さんのおかげで残してもらうことができました。だからこそ、世の中に必要とされるものを造っていかなければと思っています。古い建物を残すには今の技術が必要ですが、酒造りも同じです。昔のままの酒を今飲んでも、おいしくないと思います。
―酒造りの伝統について、どのように考えていますか?
瑞鷹の酒造りのテーマは伝統と革新です。古くから酒造りを続けてきたことは強みですが、伝統を残すためには、新しいものを取り入れ、進化しなければいけません。酒文化に関して言うならば、世の中にとってどんな意味があり、役に立っているのかを、しっかり考えるときに来ていると思います。
―未来に向けて
昭和45年(1970年)前後が日本酒の最盛期で、宴会や伝統儀式などでお酒が大量に求められました。これからは、量を求めても意味がないと思います。皆さんに必要とされ、楽しんでもらえるものを造ることが重要です。その上で、お酒の背景にある文化や地域性を生かし、農家さんたちと一緒に原材料を作るなど、地域とつながっていくことも大切です。近年は原料の米にもこだわり、酒米作りから関わるようになりました。酒造りの意義を考え、求められるいい酒を作っていきたいと思います。
※掲載の内容は2021年11月取材時点のものです
※動画内の画像の一部は瑞鷹株式会社提供
酒造りへの情熱にあふれる吉村さん。伝統を守りながら、新しいことに挑戦し続ける姿が印象的でした。実は、熊本地震から間もないころに取材に訪れたことがあります。被害を受けた建物が新たな形で甦り、酒造りが続けられていることに、感慨深いものがありました。これから先、どんなお酒が生まれるのか、楽しみです。
■ 瑞鷹株式会社 慶応3年(1867年)創業。熊本の風土に根ざした酒造りに取り組み、伝統の赤酒や清酒のほか、焼酎やリキュールなど多様な商品を手がける。本店小売部・東肥大正蔵では試飲販売を行っている。 所在地:本店小売部 熊本県熊本市南区川尻4丁目6-67 東肥大正蔵 熊本県熊本市南区川尻1丁目3-72 URL : https://www.zuiyo.co.jp/
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