力強く素朴な味わいの陶器
「伝統に新しさを取り入れ、使いやすく美しい器を」
小代焼/「たけみや窯」
「小代焼(しょうだいやき)」は、熊本県北部で約400年前から焼き続けられている陶器です。釉薬がさまざまな色合いを生み出し、素朴な中にも力強さを感じられます。「小代焼 たけみや窯」の近重眞二さんに聞きました。
近重眞二
(ちかしげ しんじ)さん 「小代焼 たけみや窯」(旧健軍窯)、 近重治太郎有限会社代表。1954年熊本県生まれ。大学卒業後、22歳から陶芸の道へ。小代焼を復興させた祖父・治太郎さん、父の眞さんに続く3代目。2021年から「小代焼窯元の会」会長。
藩の御用窯として発展
小代焼は、寛永9年(1632年)に細川家の肥後入国に従ってきた陶工たちが、熊本北部の小岱山麓に窯を開いたのが始まりといわれています。肥後藩の御用窯として、茶道具やふだん使いの器などが作られてきました。

―小代焼の特徴を教えてください。
鉄分を多く含んだ土に、藁灰などを釉薬(ゆうやく)として用います。釉薬が生み出すさまざまな色合いの変化が美しく、茶道具として愛用されてきました。同じ釉薬を使っても、火の当たり方や窯の中の置き場所の違いで色が変わります。青小代、黄小代、白小代と呼ばれますが、インクを垂らしたような深い青に薄い空のような青、青みを帯びた白、黄みを帯びた白というように、幅広い色合いに仕上がります。
―焼くまでは、どんな色になるか分からないんですね。
釉薬には基本的に同じ材料を使いますが、各窯元で調合が違います。こんな色を出そうと狙っても、なかなか思うようにはいきません。予測がつかない色合いを醸し出すのが難しくもあり、面白いところでもあります。私の窯では、原料の粘土を3カ所くらいから取ってきて使います。土によって耐火度や色合いなどに違いがあり、混ぜて使うことで補い合えます。
小代焼の主な製造工程
1. 採土 | 原料となる粘土を採取し、乾燥させる。 |
2. 水簸(すいひ) | 粘土を水と混ぜ、石などを取り除く。泥水状になった粘土を漉し、沈殿したものを取り出し、乾燥させる。 |
3. 土練り | 粘土を練り、中の空気を取り除く。菊の花のように見えることから「菊練り(菊もみ)」とも呼ばれる。 |
4. 成形 | ろくろを用いた「ろくろ作り」、手で形をつくる「手ひねり」、板状にして形を作る「たたら作り」、ひも状にして作る「ひも作り」などの技法で形を作る。 |
5. 仕上げ・乾燥 | 乾いて手頃な硬さになったものに、削りや彫りなどの加工を行い、さらに乾燥させる。 |
6. 素焼き | 800度前後で素焼きする。 |
7. 施釉 | 藁灰、木灰、長石などを調合して作った釉薬を掛ける。「浸し掛け」「柄杓け」など多様な技法がある。 |
8. 本焼き | 1240~1250度の高温で焼き上げる。 |
※他にもさまざまな作業があります。
小代焼を再興し90年
明治維新後、途絶えかけた小代焼を再興したのが、近重さんの祖父にあたる「たけみや窯」初代・治太郎(じたろう)さんです。小代焼は平成15年(2003年)に、国の伝統的工芸品に指定されました。

―「たけみや窯」はどのように始まったのですか?
祖父は島根県の石見地方で、焼き物をする家に生まれました。他の窯元で修行し、独立して熊本県北部の荒尾で窯を開きました。祖父は熊本で小代焼を見て、魅了されたのだと思います。試行錯誤しながら小代焼の技法を習得しました。その後、熊本市の健軍に移り、「健軍(たけみや)窯」を始めました。現在地に移転後は表記を「たけみや窯」と改めました。
―作風に特徴はありますか?
祖父の代から茶陶器で知られていました。茶道の表千家や裏千家から注文を受け、納めたこともあります。薄づくりで、手にした時にも軽いものを目指しています。
―「たけみや窯」は2021年に90周年を迎えました。
祖父が小代焼を再興してから、12の窯元(現在は11)ができました。「小代焼窯元の会」の会長を務めていますが、全国的にはまだあまり知られていないので、皆で知名度を上げていきたいですね。
私の子は娘ばかりで、今のところ誰も後を継ぐという者がおりません。仕事は強制するものではないので、本人のやる気が一番ですが、祖父の代から続いてきたので、娘でも孫でも誰かやりたいという者がいればという希望は持っています。
―器作りで心がけていることは?
祖父からよく「使い手の立場になってものをつくらないといかん」と言われていたので、持ちやすさ、食べやすさ、飲み口、大きさなど、使いやすさを常に考えています。私たちは作家ではなく職人ですから、そこは意識しています。もちろん見た目もよいものを目指しますが、一番は使いやすさです。お客様の使ってよかったという言葉がなによりの喜びです。
幼いころから親しんだ陶芸の道へ
大学卒業後、家業の小代焼の道へ進んだ近重さん。子どものころから、暮らしの中には陶芸がありました。

―いずれはこの仕事に就こうと考えていたのですか?
若いころは自分がこういう仕事に就くとは思いもしませんでしたが、嫌いだったわけではありません。子どものころから陶器の原料で粘土遊びをしたり、祖父の膝の上でろくろを回したりしていました。中学生のころにはぐい呑みや湯呑くらいは作れるようになり、大学の長期休暇のときには家の手伝いをしていました。
当時は土産店などでよく売れていて人手が足りないほど。福岡の大学に進学したのですが、父から一緒にやってみないかといわれ、大学を卒業して熊本に戻ってきました。22歳の時にこの道へ入り、続けるうちに焼き物づくりへの気持ちが熱くなっていきました。
―苦労したことはありますか?
記念品などの注文で、同じ形のものをたくさん作るのが難しかったですね。実際の数よりも多めに作るので、2000個の注文を受けたときには、3カ月で3000個ほど作りました。大変でしたが、数をつくることは技術の上でもためになり、自信につながりました。
―時代とともに作るものは変わってきましたか?
この道に入って45年くらい経ちますが、だいぶ変わってきました。最近は湯呑やコーヒーカップよりもマグカップやフリーカップが売れています。急須を持っていない人もいるので、「お茶はこうやって飲むとおいしい」というような情報発信もしなければと思います。
伝統に新しさを取り入れて
伝統の技を大事にしながら、新しい商品も開発。歴史を受け継ぐ若い世代にも期待しています。

―伝統についてどのように考えていますか?
昔から受け継がれたものを後世に伝えていくことが大切ですが、昔ながらのやり方だけでは、続いていくものではないと思います。新しい現代的なものを取り入れていくのが重要です。だからといって、よその産地の技法をそのまま取り入れるのはどうかと思います。小代焼の特徴を生かし、その技法や釉薬とうまく調和させて、自分なりの新しい小代焼ができれば、それがまた伝統につながっていくと思います。
―今後、作っていきたいものはありますか?
湯呑やコーヒーカップとは違うものをと考え、2020年に新しい商品を作りました。コロナ禍で家でお酒を飲む機会が増えた人も多いと思います。私もよくウイスキーを飲むんですが、手の中でロックなどをカラカラと転がしながら楽しんでいただけるように、底を小さくしてまるいフォルムにしたカップです。癒やしにつながるように「YURAGI – ゆらぎ -」という名をつけました。これからは、このようにネーミングした商品も作っていきたいと思います。
―未来に向けて
祖父が再興して以来、小代焼の窯元も増えてきました。若い人が、新たに始めるのもよいことだと思います。小代焼には約400年の歴史がありますので、これで途絶えることはないと思います。この先もずっと続けられればよいと思っています。
※掲載の内容は2021年12月取材時点のものです
※動画内の画像の一部は小代焼 たけみや窯提供
一つ一つ色合いが違い、形も微妙に異なるのが手作りの魅力。取材後、さまざまな器の中から、迷った末に小ぶりのマグカップを買い求めました。手になじんで飲みやすく、使いやすさを実感しています。
■ 小代焼たけみや窯 1931年(昭和6年)創業。初代が再興した小代焼の伝統に新たな趣向を加え、素朴でありながら、美しく使い勝手の良い器を作っている。 所在地:熊本県上益城郡嘉島町北甘木2222番地 URL : http://www.takemiyagama.co.jp/
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