手びねりで作る素朴な郷土玩具
「先祖から受け継いだ技を、次の世代へ」
木葉猿/「木葉猿窯元」
熊本県の玉東町木葉で作られている「木葉猿(このはざる)」。手びねりで素焼きした素朴な玩具は、約1300年前に生まれたといわれています。「木葉猿窯元」七代目の永田禮三さんに聞きました。
永田禮三
(ながた れいぞう)さん 1937年生まれ。20歳のころから父で先代の武二氏に師事、七代目となる。伝統的な木葉猿のほか、新しい商品も開発。毎年、干支の制作も行う。三女の川俣早絵さんが八代目として共に制作を行っている。
伝説から生まれたユニークな玩具
「木葉猿」は奈良時代初期の不思議な伝説から生まれたといわれています。

―「木葉猿」の由来を教えてください。
木葉猿というのはずいぶんと歴史が古うございまして、今から約1300年前の養老7年(723年)、「虎の歯(このは)」(現在の木葉)の里に住んでいた都の落人が、奈良の春日大明神を祀り、祭器を作って残りの土を捨てたところ、それが不思議にもお猿となったそうです。「木の葉の土でましら(猿)をつくれば、かならずや幸せになれる」といわれたという伝説があり、そこから木葉猿が始まるわけでございます。
木葉猿には、悪病・災難除け、魔除けとして、また、子孫繁栄、安産、子宝、丈夫な子どもさんが生まれてくるようにという願いが込められております。
―長い歴史があるんですね。
江戸時代の小説『南総里見八犬伝』の本の表紙に、木葉猿が出ています。八犬伝の舞台、千葉県の館山の博物館から連絡をもらい、博物館を訪ねたところ、表紙にちゃんと「木の葉」と書かれていました。大正5年(1930年)には、文芸倶楽部主催の「全国土俗玩具番付」で、木葉猿が東の横綱に選ばれています。
―いろいろな種類がありますね。
馬乗猿、飯喰猿、子抱猿、三匹猿などは、古くから伝わっているものです。「逆三猿(ぎゃくさんえん)」という作品も新たに作りました。昔から作られてきた「見ざる言わざる聞かざる」とは反対で、よくしゃべり、見たり聞いたりという積極的な意味で作ったものです。壁掛けなど新しいものを加えると、15~16種類くらいになるでしょうか。
指先から生まれるユーモラスな表情
木葉猿は粘土を指でひねって形を作り、素焼きして作られます。

―特徴を教えてください。
すべてが手仕事です。子どもの粘土細工と一緒で、手足を作って、組み立てていきます。手びねりで一つ一つ形ができていくのが、魅力であり、楽しさですかね。
―作る時のポイントは?
昔から木葉猿は少し上向き加減で、ユーモラスでちょっととぼけた感じというのが特徴です。できるだけ楽しいお猿ができればいいなと思って作っています。
―制作で面白いところは?
大きなものを作る時は楽しいですね。大きなものは、集中しないとできません。中が空洞になっているので、焼くと1割以上収縮します。たとえば50cmだったら55cmくらいの大きさを作らないといけないので、二人がかりです。
軟らかい粘土を少し硬くしてから使うのですが、そのタイミングを見極めるのが難しいです。あまり硬くなってしまうと、粘土がくっつかない。タイミングを見定めるには、長年の勘が必要です。
木葉猿の主な制作工程
1. 土練 | 原土を土練機にかけ、水を加え練り上げる。 |
2. 成形 | 手動ロクロの上で、指先で粘土をひねり形を作る。 |
3. 乾燥 | 1~2週間、自然乾燥する。 |
4. 素焼 | 800~900℃で焼成する。黒いものは煙でいぶす。彩色するものは、焼き上げた後に色づけする。 |
※作るものによって作業工程が異なります。
伝統を守る唯一の窯元
明治時代頃までは4軒の窯元が制作していましたが、現在、木葉猿を作るのは木葉猿窯元だけとなりました。

―永田家について教えてください。
記録で分かる範囲では私で七代目ですが、木葉猿は約1300年の歴史がありますから、もっと長い歴史があるはずです。裏付けがとれないので、「中興七代」と名乗っております。
私の父の子どもの頃ですから、もう百年近く前になりますが、そのころまでは何軒か窯元があったそうです。現在は私たち一軒だけとなりました。
―子どものころから身近にあったのですか?
熊本弁で「ててんご」といいますが、「手遊び」の意味です。子どもの時には、「ててんご、ててんご」と言って、父のそばで遊びながら何か作っていました。上手にできたと父にほめられたのを覚えています。今も孫たちが来て、いろいろなものを作っています。
―新たに作るようになったものはありますか?
干支づくりを始めて、もう40年近くなります。要望もあって作るようになりましたが、毎年のように取材に来てくださいます。伝統工芸というのは、経済的にも生活の面でもなかなか厳しいので、なにかこれは始めないといけないねと妻と相談しまして、干支を作るようになりました。
次の世代へ夢を託す
永田さんの三女の川俣早絵(さえ)さんが、八代目として共に木葉猿を作っています。

―後継者について教えてください。
娘が3人おりまして、(早絵さんは)三女ですが、自分が後を継ぐと子どものときから決めていたみたいです。娘が小学生の時にテレビの取材があり、そのころから「早くお父さんとお母さんを楽にさせたい」と話していました。
奈良の短大や大学院で陶芸について学び、戻ってきてから一緒に作るようになりました。伝統工芸はどこも厳しく、跡取りがいないとよく聞きますが、当家は恵まれていて、うれしいことですね。頑張ってほしいと思っています。
―伝統についてどのように考えていますか?
先祖代々、立派な仕事を残してくれました。絶えることなく伝統を守るのは、大変なことだったと思います。私の代でその伝統が無くなることがないように、私も必死になって守ってきました。それを次の八代目にバトンタッチすることが、私の大事な使命だと思っております。
―未来に向けて
未来は、次の代の八代目の時代になります。これからは仕上げの段階です。この窯元は、古くから伝わる建物を生かした、木葉猿の雰囲気に合う場となっています。この地を訪れた歌人で書家・美術史家でもある會津八一の文学碑も作りました。
建物や庭をきれいに整備して、「あそこに行ったら心が落ち着くよね」と言っていただけるような癒しの場、静かに過ごせる場所になればと願っています。全国からお客さまに来ていただき、木葉猿がますます栄えることが私の夢であり、八代目に託したい願いでございます。
※掲載の内容は2022年3月取材時点のものです
素朴でユーモラスな木葉猿。手づくりだから、一つ一つ色や表情が違うのも魅力です。




■ 木葉猿窯元 熊本県玉名郡玉東町木葉60 約1300年前に生まれたといわれる「木葉猿」は、手びねりで素焼きした素朴な玩具。「木葉猿窯元」では記念品などの制作にも対応しています。
コメントを書く